理性はオモチャにされました。

関ジャニ∞が好き。横山裕と大倉忠義に夢中。たまーーーに嵐。

スカイツリーから飛び降りる決意

結論から言うと2016年、私は大倉担から横山担に担換えした。この時点で嫌な予感がする方はこの先を読まないことをおすすめ致します。

 

担降りはビルから飛び降りるパターンと階段を転がり落ちるパターンがあると、とある方のブログを読んで大いに納得した。ここから先は私がスカイツリーよりも高いビルから飛び降りる決意をした話になる。とても長い。くそ長い。

 

前述通り、2006年から大倉担としてずっとヲタ活している私だが、2007年有閑倶楽部の菊正宗清四郎くんに出会ってからずっと副担は横山くんで、演技している横山くんが大好きで、ことごとく横山裕が演じる役が私の性癖に突き刺さる。家にあるドラマのDVD-BOXは有閑倶楽部、クイズショウ、左目探偵、0号室、セカムズ(これはエイト関係ないけど笑)なのだ。あと2月になったらONが届く。頭の良い台詞を甘噛みしながら品の良さそうな顔をしておいて、その実何を考えているのかわからない、一瞬一瞬がとても儚く美しい、そんな横山くんが好き。ハーデスだって高野くんだって黒澤先輩だって好き。横山裕に思いっっっきり悪い顔をさせたい。テレビ局の偉い方、視聴者がヒヤッとするような悪役を横山裕にください。これについてはまた別に語りたい。

 

まぁそんな感じで横山くんのことは副担だけどすごく応援していて、ときめいていたし、友達には横山担じゃないの?と何年も何度も言われていた。それでも私が1番応援したいと思っていたのは大倉くんだったので大倉担を名乗り、新しく出会った人には「関ジャニ∞みんな好きだけど大倉くんが1番なんです~」と話していた。

 

2016年1月17日元気LIVEオーラス。あの日、私は親友がどうしても行けないため1人で大阪へ赴いていた。そして彼はそこにいなかった。泣いた。1人で来ているというのに周囲も気にせず泣いていた。ライブが2時間半のうち1時間45分くらいは泣いていたように思う。天井席だったが右隣は通路で左隣は多分今日初めて関ジャニ∞のライブに来ました的なお姉さん2人だったのでお姉さんはドン引きしていたに違いない。しかし本当に涙が溢れて仕方なかったのだ。ダンスの空いている部分を見て泣き、本来なら大倉くんが歌うはずのソロパートを他のメンバーが歌っては泣き、普段なら激しくでも正確に乱される、今日は動くことのないドラムセットを見て泣き、メンバーがこちらに語りかけ楽しませようとする度に泣いた。関ジャニ∞というグループが好きなので、ひとりいないくらい、なんて思ったがそんなことは全くなくて、本当に辛かった。1番辛いのは大倉くんだろう、それなのに泣いてごめん、今日入りたくても入れなかったエイターだっているのに泣いてごめん、そんなことばかり思い泣いた。キャンジャニでさえ、丸子には倉子がいないとね、そんな台詞で泣いた。きっとあの日のあの思いは一生涯忘れないと思う。大人になってあんなに泣いたのはあれが1番ではないか。彼氏と別れたってあんな泣いてない。そのくらい大ダメージを食らった事件だった。幸いにも彼は軽症ですぐに復帰してくれたが心配だった。なんせ私の職業は看護師なのだ。無理をしてまた体を壊すのではないか、もしかしたら彼の病気は寛解と憎悪を繰り返す疾患では…など考えてしまっていた。

 

そんななか彼は疾風ロンドの撮影に入るのだが顔が入院後からやつれていて、さらに髪型もあまり好きなものではなかった。また金髪、もしくは明るめの茶髪になってくれたらな、でも八雲響くんの黒髪みたいな感じなら好きなんだけどな、そんなふうに思っていたが一向に私的には良くならず、好きな人には申し訳ないが罪と夏のMVの髪型は本当に嫌。

 

7月からONの放送が始まった。最高だった。毎週毎週東海林先輩に恋をしていた。

 

そしてあの報道。しかしきっと多くの人がそうであったように「前の人より何倍も良いじゃん!よくゲットしたな!たいしたもんだ!」と褒めていた。かわいいじゃん!いいじゃん!と。今思えばかなり上から目線だ。でも彼はそれから2ヶ月後みんなが忘れてきたころに突然「お友達です」と言ったのだ。なぜ今ごろ?とみんな思ったであろう、少なくとも私は思った。別にいいのにわざわざ言ったのは事務所に別れさせられたのかな?なんて思ったりした。違った。

 

10月末日また週刊紙に載った。今度はツーショットでばっちり。はじめは「撮られるなんてさすがトップアイドル~」「バリいいとこだよね~」「別れてなかったんかーい!」などわりと軽めに受け止めていたのだ。でも徐々にその思いが不信感に変わっていった。わざわざ言わなくてもよい「お友達です」あの言葉がなければ何も思わなかっただろう。でもわざわざ彼は否定したのだ、それなのに否定して次の月に撮られてしまう、なんで?どうして?そんな思いが強かった。私も良い歳なので、そこまでアイドルのプライベートに夢も見ていないが正直、オーラスでのトラウマ事件があるため今年くらいは大人しくしてくれたっていいじゃないか、プロ意識はないのか、あとそのヒモだせぇよ!マスクはちゃんとせぇよ!

 

嘘をついたっていいのだ。アイドルは嘘と虚勢、本当の部分、全部を色んな配合でこちらの世界に見せてくれている。あの美しいご尊顔と肢体、色気が含まれた声を見せて聞かせて頂けるだけでありがたい。ただ、身勝手ではあるがその嘘を最後まで信じさせてほしいとも思う。何を期待しているんだ、バカじゃん。私が彼を好きな気持ちは変わらない、それでいいじゃない?そう、思い込むことにした。

 

2016年12月10日エイタメ札幌ドーム。奇跡的にも関ジャニ∞に初めて会った日からちょうど10年。ドキドキワクワクほんの少しのもやもや。始まってしまえばもやもやなんてなくて、普段通り最高で最強の関ジャニ∞でやっぱりこの人達を好きになれて良かったと家に帰ってのどごしAllLightを飲み干した。1番心に刺さったのはNOROSHI前の大倉くんの挨拶だ。「また札幌で全員で会いたい」その言葉に安心した。また来てくれるつもりなのだ、彼はこの空間を手放す気なんてないんだ、それなら間違いない。良かった。その安堵とともに、大倉くんへ張りつめていた気持ちが溶けた気がした。ちょろいヲタクである。でも確実に前とは違う。東京ドームでその違和感に気が付いた。

 

私、横山くんのほうばっかり見てる

 

自分が大倉担でいたかったのは最早ただの執着なのではないか、ずっとすば倉で参戦していたのに親友に申し訳ない、そしてなにより大倉くんへの裏切りではないか、横山くんにも失礼にあたるのではないか。そんなことばかり考えていたが自分の気持ちに正直になれば答えは簡単だった。恐る恐る10年積み上げたスカイツリーから飛び降りてみることにした。

 

 飛び降りて向かった京セラドーム。最高。好きすぎてしんどい。

 

大倉くんのことを嫌いになったわけではないのだ。どちらかといえば横山くんへの思いが強くなっただけ。10年もすれば人の気持ちは変わるし、男の趣味だって変わる。プロ意識が、とか、嘘、とかそんなんどうだっていいのだ。これからも関ジャニ∞が好きなのは変わらないし、1番応援したい人が変わっただけ。どっちにしろ昔からよこくらのジャニショのお写真はほぼ全買いだし、テレビで見ててもDVDや録画で今日はこっちの視点で、と見ていたし、結局のところ変わらない。私ひとりが大倉担をやめたからって今日も世界は回るし何も変わらない。それなら楽しく行こう。重く考えても何も始まらない。

 

スカイツリーから飛び降りたその先は広く澄みわたる綺麗な世界だった。 訂正、飛び降りた先もやっぱり関ジャニ∞でいっぱいだった。